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森田たまの随筆には、母校である北海道庁立札幌高等女学校の話がよく出てくる

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私たちの学んだ庁立札幌高等女学校というのは、当時北海道で唯一つの公立女学校であったから、全道の優良児がこぞって受験し、小学六年(当時は高等二年)から入学できるのはほんのわずかで、大ていは二、三度落第の経験を持っているからだった。
ちょうど東京の一高でも受験するようなせまき門であったが、その代わり校舎の設備もよかったし、先生の質もよかった。
理科教室は階段式であったし、音楽室にはピアノがあって、音楽学校出身の若い女の先生が、ドレミファなどとは言わず、アーアーアーアーで音階を教え、楽譜を読ませた。
裁縫教室も椅子で、大きな裁ちもの机を一人ずつ与えられ、ミシンもあった。
これは当時の北海道長官園田安賢氏が、二年にわたって海外視察をした結果、北海道の女子に高等教育を受けさねばならぬと考え建てた学校で、創立はたぶん明治33年であったかと思う。

「明治の女」森田たま(1967年)

森田たまの随筆には、母校である北海道庁立札幌高等女学校の話がよく出てくる。
厳密に言えば、森田は同校を退学しているので、母校とは言えないのかもしれない。
退学しているにせよ、学校に対する深い愛情が文章からしみじみと伝わってくる。

最近の若い人たちに「庁立札幌高等女学校」と言ってももちろん分からないだろう。
一番分かりやすい説明は、現在の札幌北高校の前身となった学校である、ということだ。
戦後の男女共学制度が始まったときに、札幌高等女学校は札幌北高校へと名前を変えた。

今の札幌北高校と同じように、庁立高女(人々はこう呼んだ)も名門校だった。
上の随筆にもあるように、相当の狭き門だったらしい。
庁立高女の出身者たちが、母校を誇りに思う気持ちも理解できようというものだ。

さて、この庁立高女、当時は北2条西11丁目にあった。
現在は札幌市立大通高校が建ち、数年前までは札幌市立大通小学校があった場所である。
明治時代から、この場所は学問の地としての歴史を刻み続けてきたのだ。

現地に残る記念碑を眺めていると、歴史の重さをひしひしと感じる。
明治、大正、昭和、平成と塗り重ねられてきた教育の歴史の重みとでも言うべきか。
きっと様々な子供たちの様々な思いが、今もこの場所には残されているに違いない。


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by kels | 2014-10-21 19:42 | 札幌のこと | Comments(2)
Commented by J.W. at 2014-10-22 16:23 x
北高卒業生の私としては森田大先輩の事を取り上げていただき、ありがとうと言うしかありません。北高の同窓会では、今でも女学校時代の先輩が凛とした姿で多数見えるので何だか緊張するのでした(笑)。
Commented by kels at 2014-10-23 21:51
J.W. さん、こんにちは。
女学校時代の方々が同窓会に集まるというのは素晴らしいことですね。
やっぱり名門校だなあと思います☆
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