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石川啄木が実際にトウキビを食べたかどうかは不明だと言われている

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しんとして幅廣き街の
秋の夜の 
玉蜀黍(とうもろこし)の焼くるにほいよ

「一握の砂」石川啄木(1910年)

およそ札幌にゆかりのある文学作品の中で、この短歌ほど有名なものは他にない。
それが明治期の作品ということで考えると、いよいよそれは間違いないことのように思える。
札幌市民であれば、何となくでもこの歌の存在を知らぬ人はいないだろう。

大通公園のトウキビ売りが今も続いている要因の一つに、この短歌があることも、また確かである。
札幌を訪れる旅人は、どこかでこの歌に詠まれた古い時代の札幌に思い焦がれている。
焼きトウキビは、明治時代と現代とをリンクさせる重要なキーワードなのだ。

もっとも、啄木が実際にトウキビを食べたかどうかは不明だと言われている。
「トウキビを食べた」という啄木自身の文章が見つかっていないからだ。
大通公園の啄木像からも、そんな理由でトウキビが外されたという逸話が残されている。

ただし、当時の啄木の友人は、啄木がトウキビを買って下宿に帰ってきたと書いているし、啄木がトウキビを味わっただろうことは想像に難くない。
現代とは比べ物にならないほど暗い夜の街でトウキビを焼く小さな屋台に、啄木はきっと孤独の旅愁を感じたことだろう。
「玉蜀黍の焼くるにほいよ」の続きには、そんな作者の言い知れぬ不安と安らぎが隠されているのだ。

旅人であらずとも、秋の札幌は、そんな明治の昔への幻想を強く感じさせてくれるようだ。


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by kels | 2014-10-14 21:53 | 文学・芸術 | Comments(0)
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