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伊藤整は「風景はやや外国風であり、人々は知的で、おっとりしている」と、札幌を評した。

伊藤整は「風景はやや外国風であり、人々は知的で、おっとりしている」と、札幌を評した。_b0103470_2053214.jpg

北海道の各地方には松前風な伝統の残りがある。
この伝統は函館にもっとも多く感じられるけれども海港の例に洩れず小樽にも相当に残っている。
そして商業や漁業を根強く維持してゆく力は、そういう伝統の精神力かもしれない。
札幌にはそういう生活精神の根強い執拗さは感じられぬように思う。
それでいて北海道伝統の生活力に指導を与えたり、方法や組織を与えたりするものは、やっぱりこの街だということは自ら理解される。
そういう頭脳的な落ち着きと自信というものが、札幌の街上に見る人々の表情のうちにあるようだ。

東京から来る人間は、やや東京的であって、しかも落ち着きのあるこういう札幌の雰囲気に大変満足するようだ。
そして札幌のこういう気分を、エルムの樹や、ポプラの並木や広い閑雅な大通や、郊外の牧場などの風景と結び合わせて、北海道という印象を築きあげる。
なるほど、それは札幌という土地に具体化された北海道である。
それは結局美しいものと言うことすらできるであろう。
風景はやや外国風であり、人々は知的で、おっとりしている。

「札幌」伊藤整(1938年)
この文章を読んだとき、僕は比較的近年に書かれたものだろうと思っていた。
内容も表現も違和感のないものだったし、なるほどと共感できるものでさえあったからだ。
ところが実際にはこの文章は、戦前の昭和13年に執筆されたものだということである。

昭和13年とは、果たしてどのような時代だったのか。

女優の岡田嘉子が杉本良吉と共にソ連に亡命した。
石川達三の「生きてゐる兵隊」が発禁処分となった。
国家総動員法が公布・施行された。

日本は前年の昭和12年から中国と戦争を開始していた。
現代からは想像することのできない緊張感が、街を覆い尽くしていたに違いない。
そしてそれは、東京でも札幌でも大きな違いはなかったのではないだろうか。

あるいは、そんな時代だからこそ、札幌の異国情緒は際立っていたのだろうか。
伊藤整は「風景はやや外国風であり、人々は知的で、おっとりしている」と、札幌を評した。
本質的な部分で札幌の街は、戦前から少しも変わっていないようにも思える。


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by kels | 2014-07-05 21:52 | 文学・芸術 | Comments(2)
Commented by サラリーマンレポート at 2014-07-06 17:25 x
昭和13年の感想をよく見つけられたものだと感心します。そして共感します。
ビジネス街・商業や文化施設・雑踏・ちょっと猥雑な歓楽街・緑と自然豊かな公園・歴史を感じる街並みや住宅街が散歩コースの範囲で程よく配された街が札幌。徒歩圏内というところがポイントで、同じ都市は、おそらく他に無いのでは。
Commented by kels at 2014-07-06 22:12
サラリーマンレポートさん、こんにちは。
札幌に対する観察眼の鋭さ、いつも感服いたします。
僕は東京の街の、あの大きさも好きなんですけれどね(笑)
古い本を読んでいても、札幌に関する文章に出会うと、つい反応してしまいます☆
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