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日常の食事は、やっぱり季節感を感じることのできるものでありたいと、僕は思う

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皆さんは、この春、何度ニシンを食べただろうか。
残念ながら、僕は一度だけである。
もしかすると、二度くらい食べたかもしれないけれど、それにしても随分少ない数だなあと思う。

かつて、ニシンは北海道に春を告げる魚として知られ、季節になると、人々は毎日ニシンばかり食べて暮らしていたという。
漁村からやってきたニシン売りが、リヤカー一杯にニシンを積んでやってきたのを、どこの家庭でもバケツ単位で買い込んだらしい。
一度に一人で2匹も3匹も焼いて食べたというから、春先の北海道におけるニシンの消費量が伝わるような話である。
逆に言うと、それほど消費できるくらいに、大量のニシンが収穫されていたということなのだろう。

ニシンに限らず、人々の食生活の中で、焼き魚が登場する機会は減少したという。
養殖技術の進んだ食肉の方が安価な時代だし、調理も簡単になっている。
調理に手間がかかることもあろうが、「貧乏人は魚を食う」時代が終わってしまったことが、日本人の食卓から焼き魚が少なくなってしまった原因のような気がする。

もっとも、僕が家庭で焼き魚をあまり食べない理由は、調理が難しいからである。
もちろん、グリルで調理すれば簡単だけれど、魚はやっぱり炭火で焼いた方が美味しい。
自宅で七輪を使って魚を焼くことは難しいから、結局、あまり焼き魚を食べないようになってしまった。

調理器具が発達していなかった時代、人々は庭先の七輪で魚を焼いたという。
旬の魚を大量に仕入れて、炭火で焼いていた時代、庶民の食卓の焼きニシンはどれほど美味しかったことだろう。
ニシンが「春告魚」と呼ばれたのは、まさしくそういう時代のことである。

そんなことを考えていると、豊かな生活っていうのは、一体どういうことなんだろうと、いつも僕は思う。
発達した流通事情、24時間営業のスーパー、簡単で安心な電気調理器具と、世の中はいつでも進化してきたし、人々の暮らしは、どんどん文化的になっている。
だけど、食卓に上るニシンの味は、庭先の七輪の炭火で焼いていたあの頃の方が、ずっとずっと美味しかったに違いない。

日常の食事は、やっぱり季節感を感じることのできるものでありたいと、僕は思う。

 北国の春には春の焼きにしん kels

電気グリルでもいいから、もう少し食べておけばよかったなあ、焼きニシン。


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by kels | 2014-04-09 21:57 | 春のこと | Comments(2)
Commented by 桜子 at 2014-04-10 12:13 x
いわゆる和食って、大切ですよね。焼き魚、好きだなぁ~秋刀魚、鯵、ホッケなど。

魚じゃないけど、
春と言えば行者ニンニク!もう大好き!あのクセがたまりません(笑)

…などと言いながら、本日のランチは生パスタ。人生って思い通りには行かないや(*^^*)
Commented by kels at 2014-04-11 21:56
桜子さん、こんにちは。
僕は和食大好きです。
定食屋さんでは、ついつい焼き魚定食など(笑)
だけど、イタリアンも好きなんです。
行者ニンニクを使ったパスタなどといかが?
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