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寝台特急「北斗星」は、静かに札幌駅を旅立っていった

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駅のホームに寝台特急「北斗星」が滑り込んできた。
夕暮れの札幌駅だ。
「北斗星」は吹雪の中を疾走してきたことを偲ばせるように雪まみれの車体をしていた。

年末最後の日曜日で、新聞では帰省ラッシュのニュースが相次いでいた。
「北斗星」もさぞかし混雑しているのではないかと思ったけれど、列車のドアから降り立つ人の姿はほとんどなかった。
寂しいくらいに静かな終着駅だ。

そう言えば、駅のホームにもほとんど列車待ちの人の姿はなかった。
数組の家族連れが青い車体の中に乗りこんでいったくらいで、車内はやはり閑散としている。
年末休暇の日曜日に、「北斗星」はこんなにもガラガラの状態で走り続けていたのだろうか。

あるいは、もっと別の日に混雑しているのかもしれない。
なにしろ、僕自身、寝台特急にはずいぶん長い間乗っていなかった。
「北斗星」の混雑具合の程度を、よく分かっていないのだ。

両親が関東にいるから、東京には定期的に行っていた。
飛行機を使うこともあれば、自動車を積んでフェリーで移動することもあった。
移動そのものを楽しむために、寝台列車も利用した。

その頃は、お盆や正月の休みの時期に、寝台列車の予約を取るのは大変なことだった。
あれは「北斗星」ではなく「カシオペア」だけの話だったのだろうか。
夕方札幌を出発した列車は、翌朝、東京の上野駅に到着した。

実際のところ、利便性や快適性を考えたら、寝台列車である必要はないのかもしれない。
だけど、旅の楽しさとは利便性や快適性だけで測れるものではないはずである。
かけがえのない思い出を手に入れることも、寝台列車の旅の楽しさだった。

もっとも、現代に生きる人々が時間に余裕をなくしていることも、また確かだ。
僕自身、時間的余裕があれば寝台列車を利用したいと、いつも思っていた。
ゆとりある旅を楽しむには、あまりにも現代社会は窮屈になりすぎている。

いつか引退して、のんびりと旅を楽しむことができるようになったら、寝台列車を使って日本一周の旅なんていいな。
だけど、きっとこの国は、寝台列車の存在を、そんなにも許し続けたりはしないかもしれない。
余裕がないということでは、日本もJR北海道も、そして、僕自身もそんなには変わりはしないのだ。

やがて、予定の時刻になると、「北斗星」は静かに札幌駅を出発した。
両親と一緒に窓から手を振る幼い少年の記憶に、この旅はしっかりと刻みこまれるだろうか。
おそらくだけれど、少年はきっと、この冬を忘れることはないだろう。


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by kels | 2013-12-29 22:57 | コラム・随想 | Comments(2)
Commented by サラリーマンレポート at 2013-12-30 22:06 x
移動と旅の違いでしょうか。
移動は効率を重視し、旅には情緒が大切です。
一度は乗りたい北斗星、誰が付けたかいい名前です。
札幌22時発の青森行急行はまなすも一度は乗りたい寝台列車です。
Commented by kels at 2013-12-31 08:05
サラリーマンレポートさん、こんにちは。
「急行はまなす」もいいですね。
青春18きっぷの旅をしていた頃、「はまなす」は内地へ渡るのに必須の列車でした。
夜行急行にしかない旅の情緒、確かにあったと思います☆
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