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啄木が滞在した明治時代と比べて、札幌の街は大きく変わった

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札幌市内には、石川啄木に関わる記念碑みたいなものが、数箇所にある。
啄木が明治時代、札幌に滞在したことは有名な話だが、滞在期間はわずか2週間だった。
2週間しか滞在していないにも関わらず、啄木が札幌に残した文化的な影響は非常に大きいらしい。
そうでなければ、こんなにも市内のあちこちに、啄木にまつわる記念碑なり説明版なりが、設置されたりはしないだろう。
札幌市民は石川啄木のことが大好きだし、たった2週間の滞在を誇りに思っている。
そして、啄木もまた、きっと札幌のことを住みよい街だったと懐かしく思っていたに違いない。

啄木の記念碑で最も有名なのが、大通公園にある啄木像である。
なにしろ、大通公園の中という、とても良い設置場所にあって、多くの観光客が一度は見かけることができる。
そして、刻まれた作品が、かの有名な「玉蜀黍」の歌だったことも、この像の人気を一層強いものにしている。
誰もが知っている啄木の、誰もが知っている作品が刻み込まれているのだから、通りすがりの旅人にだって印象深いものとなる。

しんとして幅廣き街の
秋の夜の
玉蜀黍(とうもろこし)の焼くるにほいよ

この歌は、札幌の焼きトウキビを全国的に有名なものにしたし、この歌があったからこそ、大通公園の焼きトウキビが今に伝えられているとも言える。
経営難にあった大通公園のトウキビワゴンが、苦難を乗り越えながらも今に至っている、その要因の一つは、きっとこの歌にあるのだと僕は考えている。
札幌と焼きトウキビとの強い結びつきは、啄木のこの作品によって、永遠に分かちがたいものとなったのだ。

実際、秋の大通公園のベンチに座って、焼きトウキビにかじりついていると、啄木がこの作品を読んだときの気持ちが、何となく分かるような気がしてくるから不思議だ。
文学を理解するために実体験が必要だという、一つの実例になっている。
これで大通公園のとうきびが廃れてしまっていたら、啄木の作品も、さぞかし味気ないものになっていたことだろう。

観光客は、この啄木像と一緒に記念写真を撮っている。
意外なことに、記念撮影をしているのは若い人たちの方が多いような気がする。
国語の教科書にも作品が掲載されている啄木は、若い人たちにも人気の文学者なのだろうか。

啄木が滞在した明治時代と比べて、札幌の街は大きく変わった。
啄木の見た札幌の風景の面影は、ほとんどないと言ってもおかしくはないくらいに、札幌の街は激変した。
今の札幌を見て、啄木は何と詠うのだろうか。


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by kels | 2013-10-30 21:04 | 文学・芸術 | Comments(2)
Commented by J.W. at 2013-10-31 11:09 x
kelsさん、こんにちは。
明治時代と比べれば当然激変でしょう。そして、私が住んでいたついこの間の昭和の札幌も今では想い出の街になってしまいました。
今、思うと東京同様、オリンピックの頃、市電がほとんど廃止されて地下鉄に変わってから札幌の街並みの変化が著しくなったような。
それでも学生時代の下宿は未だに残っている(何とグーグルストリートで観る事が出来る)し、大学のキャンパスもほとんど変わらずにある札幌は大好きな街です。
Commented by kels at 2013-11-01 05:03
J.W. さん、こんにちは。
札幌の街並みは、オリンピックを境に大きく変貌したと、よく聞きます。
市電のたくさん走っていた時代の札幌、見たかったですね。
もちろん、変わっていないものも、たくさんあるんだろうと思います☆
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