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夏の終わりというのは、クールな小説家であってもセンチメンタルな気持ちになるらしい

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夏の終わりというのは、クールな小説家であってもセンチメンタルな気持ちになるらしい。
というようなことを、僕は村上春樹の「風の歌を聴け」を読んだときに思った。
特に、それを感じたのは、やはり、この部分のフレーズだろう。

夏の香りを感じたのは久し振りだった。
潮の香り、遠い汽笛、女の子の肌の手ざわり、ヘヤー・リンスのレモンの匂い、夕暮れの風、淡い希望、そして夏の夢・・・
しかしそれはまるでずれてしまったトレーシング・ペーパーのように、何もかもが少しずつ、しかしとり返しのつかぬくらいに昔とは違っていた。

「風の歌を聴け」村上春樹(1979年)

この小説は、まさしく一夏の物語である。
東京の大学に通っている主人公が、夏休みを利用して故郷に戻ってきている。
彼は、夏の終わりとともに、故郷の街を去って東京へと戻らなければならない。

故郷の街を去るということ、仲間たちと別れなければならないということ、そして、夏が過ぎ去ってしまうということ。
夏の終わりは、彼の暮らしの中で、様々なものに区切りを付けて、彼を次の展開へと進めようとする。
物語は、そんな夏の終わりと一緒にフェードアウトするように消えていこうとしている。

8月26日、という店のカレンダーの下にはこんな格言が書かれていた。
「惜しまずに与えるものは、常に与えられるものである」

僕は夜行バスの切符を買い、待合所のベンチに座ってずっと街の灯を眺めていた。
夜が更けるにつれて灯は消え始め、最後には街灯とネオンの灯だけが残った。
遠い汽笛が微かな海風を運んでくる。

「風の歌を聴け」村上春樹(1979年)

夏が特別な季節であるということは、世代や性別を問わずに変わらない感性なのではないだろうか。
その夏が終わろうとしている季節、人は言いようのない喪失感や虚脱感を覚えるはずだ。
それは、取り戻すことのできない青春の時間に似ていることを、人は大人になったあとで気が付く。

夏の終わりには、クールな小説家だって、少年のようなノスタルジーを持つものなのだろう。
そういう意味で、僕はこの小説が今でも大好きだ。
いつまでも瑞々しい少年の心を失わない夏が、物語の中には溢れているから。

あらゆるものは通りすぎる。
誰にもそれを捉えることはできない。
僕たちはそんな風にして生きている。

「風の歌を聴け」村上春樹(1979年)







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by kels | 2013-08-30 21:34 | 文学 | Comments(0)
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