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「グレート・ギャツビー」は、30才になるまでに、一度は読んでおきたい小説だ

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「グレート・ギャツビー」は、30才になるまでに、一度は読んでおきたい小説だ。
なぜなら、男が大人になるまでに、何が必要であって、何が必要ではないのか、そういったことを、この物語は実によく考えさせてくれるからだ。

ここで大切なことは、この物語は、お節介な説教めいた教訓を読者に押し付けるのではなく、あくまでも、「大切な何か」について、僕たちに考えさせてくれる、ということだ。
自ら思考し、悩み、壁にぶつかり、その壁を乗り越えようとする忍耐と自尊心のようなものがあってこそ、男はおとなになったと言えるのかもしれない。

物語の最後で、語り手であるニックは、別れた恋人とこんな会話を交わしている。

「そうだ、あんた覚えてる?」
彼女はつけ加えて言った。
「あたしたちがいつか車の運転のことで話したこと」
「さあ-正確には覚えてないな」
「あんた、へたな運転手は、もう一人へたな運転手と出会うまでしか安全でないって、言ったでしょ。あたしは、もう一人のへたな運転手に出会ったのよね。つまり、あんたの見当はずれの推測をしたのは、あたしの不注意でしたってこと。あたしはね、あんたのことを正直で率直な人だと思ったんだ。それがあんたのひそかな誇りなんだと思ったの」
「ぼくは三十ですよ」と、ぼくは言った。
「自分に嘘をついて、それを名誉と称するには、五つほど年をとりすぎましたよ」

「華麗なるギャツビー」スコット・フィッツジェラルド(1925年)野埼孝・訳

20代から30代へと年を取る、その過程の中で、男は青春の最後の輝きを感じる瞬間がある。
ニックもギャツビーも、その瞬間を、それぞれの価値観の中で通り過ぎ、あの切ない大人へと成長していったのだ。
彼らの生き様が、男たち一人一人の哲学によって、人生に多様なドラマを生み出していることは言うまでもない。

「ギャツビー」というと、華麗なる部分のみが着目を浴びがちだが、実際のギャツビーは決して華やかなだけの人生ではない。
むしろ、華やかなるざる人生の中で、華麗なる一面のみが物語のタイトルとして与えられたにすぎない。
ニックの冷静で、しかし、人間味に溢れた観察眼は、誰にも理解されることのなかったギャツビーの心の渇きさえをも丁寧に汲み取ろうと努力している。

ぜひ、「華麗なるギャツビー」は、30才になる前に読んでいただきたい。
そして、30才になってから、もう一度読み返してみてほしい。
男にとって30才という年齢がどのようなものなのか、それを、この小説から感じ取ることができるかもしれない。

ところで、村上春樹がこの小説をとても愛していることは有名な話で、近年になって、翻訳も果たしている。
「ノルウェイの森」を読んで感動した人間にとっては、村上春樹訳を読みたいところだが、僕は、古くもなじみ深い野崎孝の訳による一読をお勧めしたい。
切ないくらいの優しさが、そこからはにじみ出ていることだろう。





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by kels | 2013-06-17 19:42 | 文学 | Comments(2)
Commented by hendrickson-pink at 2013-06-17 20:47
翻訳されたモノを読む際に思うのは、翻訳家が文章中に出てくる細かいディテールそのものを判って訳しているのか?と言う部分です。例えば釣りの実践者としてのヘミングウェイの釣り文学作品への訳し方.....釣りする者から見ればかなり萎える訳し方が多々見受けられる。ギャッツビーに関しても翻訳家が服飾に興味ある方なら良いのですが.....?フィッツジェラルドは実践した事でないと書けない人だった様ですが、浪費・パーティー好き(ゼルダ絡みとはいえ)だった事が内容にフィードバックされているからこそ服装に関しての詳しい記述が出来るのでしょうね。
Commented by kels at 2013-06-18 22:21
hendrickson-pinkさん、こんにちは。
開高健の訳だったら、原文以上に熱が入ってしまう場合がありそうですね~(笑)
古い外国文学の場合、当時の文化や風俗にも精通していなければならず、やっぱり大変ですよね、翻訳っていうのは。
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