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そして、僕の夏はいつだって「風の歌を聴け」から始まった

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夏について何かを語る時、僕は、まず、村上春樹の小説について語らなければならない。
それは、僕が夏について語るときの、一つの暗黙のルールみたいなものだ。
始まりは、ビーチでもなければビアガーデンでもない、村上春樹の小説だ。

一夏中かけて、僕と鼠はまるで何かに取り憑かれたように25メートル・プール一杯分ばかりのビールを飲み干し、「ジェイズ・バー」の床いっぱいに5センチの厚さにピーナツの殻をまきちらした。
そしてそれは、そうでもしなければ生き残れないくらい退屈な夏であった。

「風の歌を聴け」村上春樹(1979年)

これは、1970年の夏の一瞬を描いた小説である。
ドラマチックなストーリー展開もなければ、胸踊るラブロマンスもない。
あるのは、ただ、気だるい夏を生きる、控えめでささやかな青春群像だけだ。

開け放した窓からはほんのわずかに海が見える。
小さな波が上がったばかりの太陽をキラキラと反射させ、眼をこらすと何隻かのうす汚れた貨物船がうんざりしたように浮かんでいるのが見えた。
暑い一日になりそうだった。
周りの家並みはまだ静かに眠り、聴こえるものといえば時折の電車のレールのきしみと、微かなラジオ体操のメロディーといったところだ。

「風の歌を聴け」村上春樹(1979年)

写真にも言えることだけれど、当たり障りのない文章というのは、意外と貴重なものだ。
そして、当たり障りのない日常風景の中にこそ、僕たちの記憶に強く残るだろう、風景が時に隠されている。
それをきちんと発見し、記録し、誰かに伝えていくことこそが、写真家なり小説家の役割なのだろう。

小説の随所に登場する、この当たり障りない風景が、僕はとても好きだ。

ひどく暑い夜だった。
半熟卵ができるほどの暑さだ。
僕は「ジェイズ・バー」の重い扉をいつものように背中で押し開けてから、エア・コンのひんやりとした空気を吸いこんだ。
店の中には煙草とウイスキーとフライド・ポテトと脇の下と下水の匂いが、バウムクーヘンのようにきちんと重なりあって淀んでいる。

「風の歌を聴け」村上春樹(1979年)

小説はどこまでも真夏のままで進行していく。
なにしろ、この小説は、8月8日に始まり、18日後の8月26日に終わる。
真夏の小説なのだ。

けれども、今日、僕は、この小説の終わりまでを語ろうとは思わない。
2013年の夏は、これから始まろうとしているところだし、古い小説については、いつだって語ることができる。
僕が語るべき夏の話は、まだまだたくさんあるのだ。

そういうわけで、僕にとっての2013年の夏が、今、始まった。
今はまだ6月だし、北国の6月は決して暑い季節ではない。
東京だって、きっと、夏にはまだ早すぎるのだ。

けれど、僕は少しでも早く夏について語りたいし、語るべきだと思う。
時間との戦い。
それほどまでに、北国の夏は短く、あっという間に過ぎ去っていくのだ。

別に背伸びするつもりはないし、特別のことを書こうとしているわけでもない。
いつもの年の、いつもの夏と同じように、僕はただ、夏について語り続けていたいだけだ。
そして、僕の夏はいつだって「風の歌を聴け」から始まった。





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by kels | 2013-06-13 21:36 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)
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