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生まれて初めて、僕は目に見えない何かに対して強く祈ろう

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「願掛け」という言葉がある。
目に見えない何か偉大なものに対して強く祈るという風習は、「お百度参り」や「千人針」「雨乞い」など、日本では古くから庶民の間で継承されてきた。

強く念じることによって願いが成就すると信じていた庶民の気持ちには、切羽詰った悲壮感さえ感じられることが多い。
多くの伝統的な風習が廃れた現代社会だが、目に見えない何かに対して強く祈るという気持ちは、今も多くの日本人が持っているのではないだろうか。

村上春樹の古いエッセイに、大学受験のときの願掛けに対するエピソードがあった。
村上春樹の大学受験を祈願して、母親が破魔矢を買ってきてくれるのだが、神頼みを信じない村上春樹は、それを折ってしまうという話だったように記憶している。
(内容を確認していないので確かではないが)

これを読んだとき、願掛けを一切気にしたことのない自分自身の話のように感じたものだった。
けれど、今、僕は何かに対して強く祈るという気持ちを、少し理解できるような気がしている。
それは、自分自身の欲望のために祈るということではなく、「誰か他の大切な人のために祈る」という気持ちのことだ。

考えてみると、日本の伝統的な願掛けの多くは、誰か大切な人の無事を祈るために行われてきたものではなかったか。
そう考えると、僕は、目に見えない偉大な何かに対して強く祈るという、非科学的な「願掛け」の意味が、少しは理解できるような気がする。

なぜなら、今、僕は大切な誰かのために強く祈りたいと思っているからだ。
そのために、僕は、何か自分の好きなものを断っても構わないとさえ考えている。
根拠も理屈もない非科学的な話だと思うけれど、せめて、そうすることでしか、僕は自分自身の気持ちを納得させることができないように思える。

だから、せめて一年間だけでいいから、僕は強く祈ろうと思う。
おそらく生まれて初めて、目に見えない何かに対して強く祈ろう。
強く祈ることで新しい道が開かれるのであれば、僕は何だって断つことができるような気がする。

大切な人のことを思うって、きっと、そういうことなんだろうな。
これが自分のためだったら、こんなにも強く祈ったりはできないはずだもの。


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by kels | 2013-01-28 23:04 | 随想 | Comments(0)
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