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僕らは「食べるために働いている」のだ

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昔ほどには小説を読むことはない。
その代わりに、随筆だとかエッセイだとかの類を好んで読むようになった。
随筆は、どんなジャンルのものでも手当たり次第に読むが、「食」に関するものは、特に好きだ。

別に、趣味が美食とか、そういうことではなく、単純に食べることが好きなのだろう。
なにより、食べ物の話題は、人を幸せにしてくれる。
そして、話題のテーマは、高級料理や名物料理の話よりは、もっと日常的で大衆的な食べ物に関する話の方がいい。

そういう意味でも、非常に面白いと思って読んだのが、「しあわせ食堂」武内クニヒロ+毎日新聞夕刊編集部(2009年)である。

これは、毎日新聞夕刊に連載されていたものをまとめたものだが、著名人の食べ物に関する思い出話が短いエッセイとして綴られている。
年輩の人たちが多いためか、食べ物に関する思い出には、必ずといっていいくらい、貧しかった時代の思い出が出てくる。
まさに、食べ物の話題を通して、貧しかった日本人が、どうやってここまで辿り着いたかを振り返っているかのようだ。
そして、それは、同時に、あのどん底の時代を決して忘れてはならないと戒めのようにも聞こえる。


あの給食の味は再現できないんじゃないかなあ。
ケチャップ自体が良質になっちゃったもん。
飽食の時代です。昔の方が良かったとは思わない。
ただね、「ナポリタンうまかったな」と言えば、小学校の同級生はみんな「うんうん」とうなずく。
『ナポリタン』なぎら健壱

一番つらいのはひもじいことだと、戦争で知りました。
僕は思った。
敵をやっつけるのではなく、飢えた人を助けるヒーローが必要だ。
何がいいか。あんぱんがいい。
それで、アンパンマンが生まれたんです。
『あんぱん』やなせたかし

こんなおいしいもん、お父ちゃん、毎日、外で食べてるんやろかなんて思いながら、ひと口、ふた口、そら、びっくりするくらいおいしかった。
よーし、こういうもんがいつでも食べられる大人になりたいなって気になりました。
のちにぼくが一念発起して、がんばるエネルギーになったんです。
いま、あのころの父の気持ちを思えば、切ない味がしてくるんですがね。
『オムライス』西川きよし

戦後のなにもない時代、なんとか食べられたのがすいとんですよ。
でも、具が貧しかったから、おいしかった記憶はまったくないの。
飽食の正反対、「貧食」そのものだったわね。
私にとっては「がまんの味」よ。
『すいとん』佐藤愛子

幼い日の、おにぎりの思い出なんて、実はひとつもありません。
戦中派の僕らの苦労といえば、全部食いもんの苦労だから。
真っ白な米のおにぎりなんて、食べたこともなかったです。
『おにぎり』藤田まこと

学校は楽しかったんですが、お昼になるのがイヤでね。
弁当の時間です。僕は弁当がない。
そっと教室を抜け出して、校庭の隅まで走っていって、鉄棒をしたり、二宮尊徳さんと話したり、みんなが食べ終わったころを見計らって、教室に戻ってました。
おっ母さんの苦労は知ってますから、弁当を、とは言えませんでした。
『紅しょうが』田端義夫

お弁当にご飯を敷き詰め、その上におかかを乗せ、さらにその上に海苔を敷く。
もう一段重ねることもあります。
だから、「のりだんだん」。
これがね、熱いうちも大変おいしいんですが、冷めてもおいしいんですよ。
それをおはしで区切って食べる。
これがあれば、おかずも梅干しもいらない。
『のり弁当』中村吉右衛門

貧しい時代なんて、昔話だと受け流されるかもしれないが、これらの話は、決してただの昔話ではないと、僕は思う。
生きることへの執着は、結局は、食べることへの執着なのだと、この本は訴えているように思えてならない。

食べること、食べてうまいということは、幸せ感のバロメーターだと思う。
食べるという行為そのものを、もっと丁寧に考えないと。
みんな、食べるために働いているわけだからね。
今は食べることがないがしろにされている気がする。
『中華そば』藤竜也

そう、僕たちは「食うために働いている」のだ。
そんな当たり前のことに気づかされる。




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by kels | 2012-11-12 20:37 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)
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