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「短歌写真展」を鑑賞して

「短歌写真展」を鑑賞して_b0103470_2024293.jpg

週末、小さなカフェを会場にして開催されている「短歌写真展」というのを観に行った。

写真と文章とを組み合わせる表現方法というのは、昔からあった。
写真と定型詩ということでは、ミステリー作家である森村誠一の提唱により大きなブームとなった「フォト俳句」などというのもある。

僕は、写真も俳句も好きだったので、一時期、このフォト俳句というのに参加したことがある。
実際にやってみて、あまりの難しさに途中で逃げ出してしまった。
写真も俳句も、鑑賞者の想像力を大いに利用して感動を高める表現方法である。
写真に説明的な俳句が付いたり、俳句に説明的な写真が付いたりすることで、鑑賞者は想像力を制限されてしまい、自分自身の自由な想像による作品鑑賞がてきなくなってしまう。

互いに制限することのない作品を組み合わせることが重要なのだが、それは決して簡単なことではない。
考えてみると、自分で納得のいく写真一枚、俳句一句を作りだすだけで大変な作業なのに、二つを組み合わせて互いを高め合う作品を編み出すというのは、実に高度な技術である。
写真も俳句も中途半端だった自分には、付いていくことのできない世界だったらしい。

写真と短歌との組み合わせというと、写真家・タクマクニヒロと、歌人・加藤千恵とのコラボレーションによる作品集「写真短歌部 放課後」が出版されている。
さすがに、二人ともプロフェッショナルということなのか、この作品集は、読者の想像力に直接訴えかけるような力強い作品で構成されていて、とてもお勧めの一冊である。

さて、そんなことを頭の片隅で考えながら、展示会場となっているカフェへ到着。
いわゆる古民家カフェの流れで演出されているカフェの一室が、展示スペースである。
小さな和室にちゃぶ台が置かれていて、二人連れの女子がおしゃべりを楽しんでいるといった、小さな空間だ。
「お邪魔しま~す」と心の中で呟きながら、部屋の中へ入る。

作品展示は、想像していたような、写真一枚に短歌一首が組み合わされているものではなく、写真と短歌が、それぞれ独立して展示されていた。
複数の短歌作品が並べられた白い紙が、プリント写真の中に紛れ込んでいるイメージ。
この方法だと、写真と短歌が、それぞれに干渉し合う危険性は少ない。
一方で、写真の間に挟まれている文章が、写真とは別の次元で鑑賞者の感情を刺激し、その刺激が写真をより情緒的な作品へと高めている。

写真も短歌も繊細で鋭敏な感覚を匂わせていた。
特に、短歌作品については、展示だけではなく、作品集として鑑賞したい欲求を感じた。






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by kels | 2012-10-14 20:47 | コラム・随想 | Comments(0)
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