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札幌のカフェ文化が貧しかった時代

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日曜日の午後、休憩場所を探して、仲間と二人で、札幌駅にある老舗の喫茶店へ入った。
数多くのチェーン店を持つ、札幌喫茶界の雄みたいなカフェだ。
札幌の人間であれば、誰だって知っている。

当たり前のことだけれど、店内はたくさんの客で賑わっていた。
満席だろうと思ったけれど、ちょうどテーブル席が一つ、空いたところだという。
少し待って通された席は、窓際にある二人掛け用のテーブル席だった。

このカフェは、何度も訪れたことがあるけれど、こういう混雑するような時間に訪れたのは初めてのことで、二人掛けのテーブル席へ案内されたのも、初めてのことだった。
テーブルとテーブルの感覚は非常に狭くて、限られた空間を最大限有効に活用すべく、テーブルが詰め込まれているのだろう。
テーブルと椅子との距離が近すぎるので、少し椅子を引こうと思ったけれど、背中には、隣の客の椅子があり、自分の椅子をそれ以上動かすことは難しかった。

二人掛け用のテーブルといっても、冷水のグラスとコーヒーカップを二つ置いたら、それでいっぱいになってしまう小さなテーブルだ。
荷物を持っていたので、テーブルの上に置くと、それだけでテーブルはいっぱいになった。
若い店員がやってきて、テーブル上の荷物を器用に避けながら、冷水グラス二つとメニューを置いて行った。

コーヒーとケーキを注文しようと仲間が言ったけれど、テーブルの上に、コーヒーカップ二つとケーキ皿を並べるような空間など見当たらない。
コーヒーカップ二つだって、その空間に並べることは困難だろう。
だからといって、荷物を膝の上に抱えたままで、コーヒーを飲みたくなかったし、床の上に放り投げて良いものでもなかった。

オーダーを取りに来るスタッフがいなかったこともあって、結局、僕らは何も注文しないままで、その店を出た。
日曜日の午後の喫茶店なんて来るものじゃないね、と僕らは笑った。

この出来事によって、僕が思い出したことの一つは、高度に発展した札幌のカフェ文化の中で、僕らは高いホスピタリティを有するカフェに慣れてしまっている、ということだ。
良く良く考えてみると、札幌のカフェ文化がまだ貧しかった時代、喫茶店と言えば、どこでも似たような状況だったような気がする。
そして、そんな時代、喫茶店のそんな貧しいホスピタリティには、誰も文句など言わなかったものだ。

裕福なカフェ文化にどっぷりと浸かってしまったおかげで、自分の居場所がどんどんなくなっているのかもしれない。
けれども、文化的に豊かになるということは、そうした不自由さを伴うものである。
ということなのかもしれないな。


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by kels | 2012-09-09 23:00 | カフェ・喫茶店 | Comments(0)
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