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巴里の空の下オムレツのにおいは流れる

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「夕食にしましょう」
マダムがドアから顔を出した。
夕暮れどき、中庭に向ったアパートの窓には灯がともって、お皿のふれあう音や、こどものカン高い声が、私の部屋までつたわってきた。

いまから十年前、パリに着いたばかりの私は、マダム・カメンスキーという白系ロシアの未亡人のアパートに部屋を借りていた。
昼間は街を歩いてみたり、フランス語のお稽古にいったりしても、夕方になるとアパートの一室でしょざいなくぼんやりしていた。
そんなとき、洋服のままベッドにねころんで、中庭から伝わってくるざわめきをきいていたのだ。

この粗末なアパートは、セーヌ河の左岸で、エッフェル塔に近かった。
かれこれ十四、五世帯が住んでいたろうか。
その大部分は亡命ロシア人だった。
四階に住む人は夕暮れになるとギターをひいて低い声でロシアの歌をうたった。

ベッドから飛び下りて台所に入ってゆくと、マダムは上っぱりを着てボールのなかの卵をかきまぜていた。
お料理をするとき、マダムは必ず木綿の事務員が着るような上っぱりを着た。
油はどこへはねかえるか分からないのだからエプロンなんか無意味だ、というのである。
その木綿の上っぱりは、いつも台所の片すみにかけてあった。

石井好子「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」暮しの手帖社(1962年)





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by kels | 2012-06-19 20:49 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)
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