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エドウィン・ダンが競馬場をつくった

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エドウィン・ダンといえば、北海道の「酪農の父」とよばれた偉い人。
しかも、真駒内の中央公園には、功績をたたえた銅像が建てられているほどの人。
そんな人が、またどうして競馬場を!
きっとそうお思いでしょうね。
実はこれには深いワケがあります。

明治9年5月のことです。
ダンは酪農事業の伝習と、馬匹(ばひつ・馬のこと)改良の命をうけて札幌にやってきます。
ところが、そのとき彼が連れてきた馬は、ヒョロリとして弱々しく、乗るのにハシゴが必要ではないかと思えるほど背が高いのです。
ドサンコを見なれた北海道の人々には、たとえその馬がサラブレッドの改良馬であったとしても、これでは頭をタテにはふれません。
これはどうあっても実力のほど、ご披露してみせるしかない!と、ダンが考えたのも当然。

そこで登場するのが、問題の競馬場、というワケ。
北大の構内につくられた競馬場は、一周約800メートル。
現在の札幌競馬場のほぼ半分の規模ですが、ダ円形のれっきとしたもの。
当時国内には、東京、横浜、富山の三ヶ所にしかありませんでしたから、つくるだけでも画期的なことでした。

ところが、疾走方法はというと、現在とは似ても似つかなくて、速歩とか立ち乗りなど、サーカスのような競技がほとんどだったそうです。
しかし、ともかくこれを契機に、日本の馬の改良が進められたのですから、ダンの競馬場もあだやおろそかにはできません。

「広報さっぽろ(豊平区版)1981年3月号・さっぽろ意外史」より


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by kels | 2012-02-29 21:30 | 歴史・民俗 | Comments(0)
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