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太田和彦「ニッポン居酒屋放浪記(望郷篇)」

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日本全国の居酒屋を飲み歩くという、太田和彦さんの「居酒屋放浪記」シリーズは、各地域の特徴がお酒を通して語られているという、大変におもしろい紀行文です。
「ニッポン居酒屋放浪記(望郷篇)」(新潮文庫・2001年)では、我が街・札幌も登場し、旅行者の目で見た札幌の酒場が綴られています。

札幌市内から少し離れたここ月寒の木立に囲まれた、八紘学園農場にある山小舎風の「じんぎすかんクラブ」は、青々とした草原の起伏が美しく、テラスは風が吹き抜け肉の煙も気にならない。
終戦前、学園理事長・栗林元二郎が満州から持ち帰った鍋で牧場の羊の肉を焼き、客にふるまったのが好評を博し、昭和28年、当時の北海道を代表する政財界マスコミ人の社交機関「成吉思汗倶楽部」が誕生した。
その味は全国的評判となり、会員制倶楽部から一般にも門戸を開いたレストランとして現在に至った。
「これがジンギスカン料理の発祥と言われています」
「ふうん、ここがオリジナルか」
鉄鍋は櫛状に切れ目と筋目が入り、焼けた肉の脂の半分は炭火に落ち煙を上げて肉を燻し、半分は周囲に流れてモヤシやキャベツの焼野菜に風味をつける。

大都市札幌の歓楽街は言わずとしれたすすきのだ。
天婦羅「天一」や鰻「竹葉亭」、そば「よし田」など東京銀座の老舗が支店を出し、今や銀座と変わりがないそうだ。

運転手の話では、すすきのから菊水に移ってきた遊郭は、十年ほど前までは面影が残っていたそうだ。
菊水会館、吟月会館など、単純な作りの大きな家に飲み屋やスナックが割部屋下宿のようにぎっしり入っているのは、厳しい冬対策のためか。

外に出るとススキノ大歓楽街は、人人人ですごいことになっていた。
日立信販、プロミス、サッポロビール、北の誉、、、。
ビル壁面をおおい尽くす巨大なネオンまたネオンは大阪道頓堀もびっくりだ。
歩道では「2年ぶりにインポテンスが直りました」と看板を出したおっさんが♪好きです、サッポロ、とマイクを握り、また一方ではお下げ髪の男が黙々と踊っている。
「ラーメンですかソープですか」
ピンクサロンの呼び込み兄ちゃんがしきりに声をかける。

「ジンギスカンはどこがうまいですか」
「ウーン、、、」
マスターは深々と腕を組み、片手をあごに当てた。
「、、、『さっぽろジンギスカン』か『だるま』か、これは好み分かれますね。これは何とも言えません」

札幌に来てサッポロビール園に来なければはじまらない。
つたの茂る見事な赤レンガの元工場にも、もちろん「赤い星」が鮮やかに輝く。
サッポロビールの前身は官営の開拓使麦酒醸造所で、北極星マークはそれ以来のものなのだ。
工場出来たての「サッポロビール園オリジナル・デュンケル生」は芳香、喉ごし、五味甘辛酸苦
鹹、すべてにおいて最高で、私は日本一うまいビールと断定した。

夕方出かけた「さっぽろジンギスカン本店」は二階建ての工事現場用仮設プレハブで、一階は釣具店だ。
外の鉄階段を上った極めて狭い店内はコンロが並びヤカンが置かれ、まるで飯場だ。
ここで一日四時間しか営業しないという。
やや深めのジンギスカン鍋におかれた白い脂がゆるんでくると赤身の肉が一皿出た。
「あまり焼かなくていいんですよ」
眼鏡の主人は声をかけながら、まな板の大きな肉塊を小さなナイフでせっせと切り分け、よけいな脂や筋をはねている。

札幌といえばラーメンと、昨日から三回食べたけど、脂まみれで胃にもたれうまくない。
タクシー運転手や店など色んな人に、うまいラーメン店を訊いたが、一様に「札幌ラーメンはとんこつ系が入ったり、マスコミに踊らされたりで、今はとてもすすめられない。ラーメン横丁なんて絶対行っちゃダメです。昔の本当の醤油味札幌ラーメンはなくなりました」と言われたのは、そのとおりだった。
札幌ラーメンは有名になりすぎ、すっかり退廃したそうだ。


「さっぽろジンギスカン本店」の風景が、今と全然変わらないのはさすが(笑)

札幌ラーメンに対する厳しい評価が切ないですね。
(あながち間違っていないだけに)


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by kels | 2012-02-28 22:26 | 文学・芸術 | Comments(0)
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