さっぽろ雪まつりの起源の一つとして知られる小樽の北手宮小が閉校になるそうだ

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小樽市の北手宮小学校校庭に、小学生が製作したとは信じられないほど、大きく見事な雪像が並び、児童たちが楽しく遊んでいるのを見た。
札幌の大通にも、そのような雪像を作って、市民が冬の一日を楽しく過ごしてはどうかと考え、ある学校に相談したところ、当時(昭和15年)は物資欠乏の時でもあり、児童のゴム靴や手袋が破損するという事由で協力していただけなかった。

「さっぽろ雪まつり写真集」さっぽろ雪まつり実行委員会(1959年)

さっぽろ雪まつりの起源の一つとして知られる小樽市立北手宮小学校が、この3月に閉校になるそうだ。
北手宮小学校では、戦後も「雪まつり」を続けてきたが、今年が最後の開催となる。
少子化に伴う学校再編は、歴史や伝統にもおおきな影響を与えてしまうものらしい。


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# by kels | 2016-02-07 16:08 | 冬のこと | Trackback | Comments(0)

さっぽろ雪まつりは、はじめ、札幌市民のための祭りだった

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この校庭で雪像つくりがはじめておこなわれたのは、高校二年生の冬であった。
校庭に各クラスが一基ずつ雪像をつくり、教師が審査員になって、コンクールがおこなわれる。
札幌の雪まつりは、昭和27年から始まったのだから、私たちの高校の雪像コンクールは、歴史から言えば、それより一年早いことになる。

「阿寒に果つ」渡辺淳一(1973年)

札幌では「さっぽろ雪まつり」が始まった。
言わずとしれた、真冬の大イベントである。
札幌の街が、たくさんの観光客で溢れ返る数日間だ。

さっぽろ雪まつりは、はじめ、札幌市民のための祭りだった。
戦後の暗い気持ちを吹き飛ばしたかったのかもしれない。
生活の障害となる雪を利用しようという、逆転の発想でもあった。

雪は生活の障害となるものだから、降らない方がいいに決まっている。
しかし、イベントを成立させるためには、たくさんの雪が必要である。
まして、イベントがこんなに大規模になってしまっては、雪の降らない冬など、もはや考えられないだろう。

今、さっぽろ雪まつりは、外国人観光客のためのイベントである。
あるいは、東京や大阪からやってくる観光客のための。
観光都市という道を選択した以上、それが札幌という街の、生き残る手段なのだ。


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# by kels | 2016-02-06 07:52 | 冬のこと | Trackback | Comments(0)

気が付けば、早くも2月である。夜明けが早くなり、日暮れが遅くなった。

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私たちの中学の徽章は、雪の結晶であった。
小さなあんな形が、一つ一つ見分けられるような雪。
そんな雪が無性に懐かしい。

こんな美しい雪を踏みつけ、鋸を入れ、ノミでかき、雪の芸術品とやらを作る。
観光資源として、遠く東京、大阪にまで宣伝する。
つつましやかな乙女を、無理矢理ファッション・モデルに仕立てているのは、誰の仕業であろうか。

「札幌の雪」瓜生卓造(1966年)

気が付けば、早くも2月である。
夜明けが早くなり、日暮れが遅くなった。
季節はゆっくりと、しかし、確実に動いている。

2月の始まりと、2月の終わりとでは、同じ2月でも、その言葉の持つ意味は、全然違う。
2月の始まりは、真冬のピークを意味している。
それに対して、2月の終わりは、冬の終わりを暗示しているからだ。

だから、札幌の人々にとって、この2月を越せば、という思いは強い。
11月から始まった北海道の冬の長さが、最も身に沁みて感じるのは、やはり、この2月だろう。
なにしろ、雪と付き合って、もう4か月目になるのだから。


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# by kels | 2016-02-05 19:39 | 冬のこと | Trackback | Comments(0)

それでなくても、インフルエンザや高熱の人たちで、欠勤の多い1週間だった

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札幌の雪まつりの会場は、真駒内と大通り公園の2か所に分かれている。
敷地から言えば、真駒内の方が大きく、雪像も多いのだが、見物客はどうしても交通の便のいい大通り公園の方に集まる。
もっとも、見物客と言っても、大半は札幌以外か、道外からの人々で、札幌に住んでいる人は、あまり見物に出かけない。

「北都物語」渡辺淳一(1974年)

札幌の冬は、今週がピークだったらしい。
なぜなら、インフルエンザや風邪で体調を崩す人が多かったからだ。
北海道の人間も、寒さのピーク時には、さすがに体力が落ちているということなのだろう。

そういう自分も、今週はとうとう風邪をひいてしまった。
38℃以上の熱が出たけれど、仕事が忙しいから、体調が悪いなどと言っていられない。
それでなくても、インフルエンザや高熱の人たちで、欠勤の多い1週間だった。

僕の場合は、仕事に熱中している間は、体調の悪いことも忘れてしまう。
仕事を終えて、部屋に戻ると、突然に熱にやられて、グッタリしてしまうのだ。
その割に朝が来れば、比較的熱も落ち着いて、また一日頑張ることができる。

だから、体調が悪くて仕事を休むということが、なかなかできない。
損な体質のようだ(笑)

冗談はともかくとして、誰もが体調を崩しやすい季節である。
自己管理には、十分に注意しなければ。


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# by kels | 2016-02-05 19:13 | 随想 | Trackback | Comments(0)

判官島義勇が、初めて北海道を訪れたのは、明治2年の晩秋のことだ

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「静かな夜じゃな。いつもこうかな、蝦夷地は」
暫くして、ぽつりと判官が口を切った。
「はあ、今宵あたりは雪かもしれませぬ」
辺りはばかるような誰かの声があったきり、座は再び沈黙に落ちた。

「札幌開府」寒川光太郎(1941年)

判官島義勇が、初めて北海道を訪れたのは、明治2年の晩秋のことだ。
これから冬がやってくるという季節の北海道である。
寒くないはずも、恐ろしくないはずもなかっただろうと思う。

まして、現代より150年も昔の北海道のことだ。
気温は現代よりも低く、雪が現代よりも多く積もった。
防寒に対する知識も道具も、極めて素朴なものだったに違いない。

原始林と原野の土地を切り拓いて、新しい街を作り上げる。
今、考えてみても、これはとてつもなく壮大で、夢を見るのに近い大プロジェクトである。
そのプロジェクトの総責任者が、島判官だった。

原野の雪の中で、島判官が思い描いた北海道の未来は、どのようなものだっただろうか。


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# by kels | 2016-01-31 20:18 | 札幌のこと | Trackback | Comments(0)