あんなに好きだったお店だけれど、それ以来、このお店を訪れることはなくなった

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東京ではコーヒー、大阪ではコーヒ。
中身は同じだが、カフェ、カフィーということか。
会社員というか、サラリーマンというか、この人たちは、商談と称して一日何杯コーヒーを飲むのだろう。
理解に苦しむのは、なんで番茶や水で商談ができぬか。

「わたしの自由席」森繁久彌(1975年)


居心地の悪いカフェについて考えてみた。
人は楽しい思い出以上に、楽しくない思い出を、いつまでも抱き続けるものらしい。
嫌な記憶を払拭するのは並大抵のことではない。

僕の最も苦手な店は、窮屈な店である。
室内空間にびっしりとテーブルが詰め込まれている店には行かない。
ファストスードの店に行かない最大の理由は、窮屈だからである。

以前、お気に入りの店があった。
小さな店だが、カウンター席のほか、ソファ席やテーブル席が用意されていた。
いつも、人の少ない時間帯に行っていたので、ゆったりとしたソファ席を好んで利用していた。

ある日、どうした事情か忘れたが、珍しく混雑しそうな時間帯に店を訪れた。

ソファ席が空いていたが、これまで座ったことのないテーブル席に座ってくれという。
店内空間は入口を入って左右で分かれていて、左が窓際席とソファ席、右側がテーブル席となっているらしい。
右側のテーブル席の空間を利用するのは、それが初めてだった。

テーブル席は、想像以上に窮屈な空間だった。
小さなテーブルに椅子が2つずつ組み込まれている。
ひとつのテーブル席を除いて、席は満席の状態だった。

テーブルに合わせて、椅子まで小さかった。
おまけに、隣の客との距離が異常に狭い。
人間が一人、横になって歩くことのできる最低限の隙間を確保しているようだ。

オシャレなカフェだから、客は若い男女か若い女性同士だった。
みんな話したいことがたくさんあるのだ。
両隣の客席の声は、まるで僕たちに話しかけているみたいに、響き渡ってきた。

窮屈な空間だから、荷物を置く場所もない。
人が歩くのがやっとだから、荷物を入れる籠を置くことなんて不可能なのだろう。
鞄は膝の上に置くのが、この店のテーブル席の流儀らしい。

きっと、あのテーブル席は、一人客を想定して作ったものだろうと思う。
それとも、狭い空間に最大限効率的に客を収納するために、ファストフード店を真似たのだろうか。

あんなに好きだったお店だけれど、僕はそれ以来、このお店を訪れることはなくなった。
わざわざお金を払ってまで、もう二度と、あんなに窮屈な目に遭いたくないからだ。
それは、インテリアや食器がオシャレだとか、ドリンクやフードが美味しいとか、お店の人たちの人柄が良いとか、そういうものを超えたお店としての本質的な問題だと僕は思う。

# by kels | 2017-08-20 07:44 | カフェ・喫茶店 | Comments(0)

僕は小説家以上に随筆家に憧れていたのだ

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学生アルバイトにアイスクリーム売りをしたのは、昭和23年の夏であった。
当時、父の転勤で我が家は仙台に引っ越しており、私と弟は麻布市兵衛町の母の実家から学校へ通っていた。
応分の仕送りはあったのだが、新円切り換えになって間もない時分でもあり、本を買ったりスバル座でアメリカ映画を見たりするには、お小遣いが足りなかったからである。

「学生アイス」向田邦子(1978年)


「アンドプレミアム」で向田邦子の文章が紹介されていた。
旅行に関する文章だったような気がする。
書店で向田邦子の名前を見たとき、無意識のうちに手に取っていた。

向田邦子の随筆は、過去にひととおり読んでいるはずである。
それでも全然記憶にないような話が、次々に出てきた。
「読んだ」と言っても、それは、もう随分昔の話なのだ。

等身大の随筆というのは、読んでいて気持ちが良いものである。
自分も、こういう随筆を書きたいと、昔に思ったことを思い出した。
僕は小説家以上に随筆家に憧れていたのだ。

# by kels | 2017-08-19 07:21 | 文学 | Comments(0)

おめでたいことがあったので、仲間を集めて近所の焼き肉屋へ行った

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夏休みになると、市電(後の都電)に乗って、東京の諸方を見物するのが、私の楽しみだった。
その頃の東京人は、自分が住む町内から、めったに外へ出ない。
どの町にも鮨屋があり、蕎麦屋・洋食屋・中華料理から寄席・映画館も、ところによっては芝居小屋まであった。
全てひとつの町の中で、用が足りたのである。

「私の夏」池波正太郎(1980年)


おめでたいことがあったので、昨夜、仲間を集めて近所の焼き肉屋へ行った。
個室を予約しようと思ったけれど、既にいっぱいだという。
店へ行くと、果たして満席で少し待たされることになった。

金曜日とはいえ、どうして、こんなに混雑しているのだろうと思った。
客を眺めていると、家族連れが多い。
リラックスした父親の姿が、やけに目に付く。

そうか、世の中のお父さんたちは、今、お盆休みなのだと、そのとき気が付いた。
8月15日でお盆は終わったと思っていたけれど、世の中的には、お盆休みはまだ続いていたのだ。
職場で予定を調整して休んでいる場合も多いに違いない。

お祝いだから、普段は注文しないような贅沢な肉ばかり食べた。
普段から贅沢していては、このような感動はないだろう。
つつましい生活の中に、小さな幸せがあるのだと思った。
# by kels | 2017-08-19 06:54 | 日記 | Comments(0)

この夏は戦中戦後にかけての日記文学を随分読んだ

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八月十五日
本日正午、いっさい決まる(※終戦のラジオ放送)。
驚愕の至りなり。ただ無念。
しかし、私は負けたつもりはない。
三千年来磨いてきた日本人は負けたりするものではない。

「海野十三敗戦日記」海野十三(1971年)


この夏は戦中戦後にかけての日記文学を随分読んだ。
随筆も好きだが、日記には自己と向き合う切なさがある。
回想録とは異なる生々しさがある。

若い頃は小説ばかり読んでいた。
磨き上げられた文章とストーリーは、小説の醍醐味である。
少年時代から今に至るまで読み続けている文学作品もある。

少し前までは随筆を好んで読んだ。
随筆は観察と感性の文学である。
日常の何気ない一瞬にドラマがあることを気付かせてくれる。

最近は古い文学者の日記を中心に読むようになった。
文学者の書く日記は、純粋な日記と言えるかどうかわからない。
文学者は、常に自分の書いたものが、いつか発表されるかもしれないということを、きっと意識しているに違いないからだ。

しかし、日記は極めて個人的な文学である。
美しい修飾語も社会的な問題提起も必要ない。
日記として残しておくべき言葉だけが、そこには並んでいる。

正解だとか誤りだとかを超えて、そこにはある種の真実がある。


# by kels | 2017-08-19 06:28 | 文学 | Comments(0)

日本にとって、8月15日前後は、敗戦の季節である

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戦後、続々と創刊されだした俳誌が、なぜ私の俳句を特別に求めるのか、私にはよく分からなかった。
多分、戦争中作品を発表しなかったので、珍しかったのと、原稿料を払わなくても寄稿しそうだったからであろう。
しかし、私は貧しかった。

「俳愚伝」西東三鬼(1959年)

本日8月19日は「俳句の日」だそうである。
ニュースを読もうと思って、Yahooを開いたら、そう書いてあったのだ。
俳句もインターネットの時代である。

この季節は、どうしても終戦記念日に因んだものを思い出す。
日本にとって、8月15日前後は、敗戦の季節である。
単なる「夏」とは、やはり違うのだ。

広島や卵食ふ時口ひらく 三鬼


# by kels | 2017-08-19 06:06 | 文学 | Comments(0)